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気球(ききゅう)とは、空気より軽い気体を風船に詰め込む事で浮力を得る物のこと。飛行船と異なり推進装置を持たないが、高度の調整(上昇・下降)により人間や観測装置などを空中に送った後で地表に帰還させたり、物体を遠方に落下させたりできる。
航空機としての分類としては、軽航空機(LTA; Lighter-Than-Air)に分類される。
バーナーなどで熱した空気を利用する物を熱気球、水素やヘリウムなどを使用する物をガス気球、ガスと熱した空気の両方を利用する物をロジェ気球と呼ぶ。人間が乗るためには気球の下にバスケットやゴンドラをつける。
移動するための推進装置は持たない。高度や地形によって向きの異なる風を捕捉することで、ある程度意図した方向へ移動することはできるが、パイロットの技量だけでなく風向にも大きく左右されるなど確実性が低いため、貨物の運搬や旅客など実用的な目的には適さない。用途は有人気球は熱気球競技と遊覧、無人気球は高高度の気象観測である。
航空機の一種であるため機体記号が必要である。日本の場合、操縦には国家資格(操縦士免許)は存在しないが、多くの国では所轄団体が訓練を行っており技能証明を発行している。
ロープなどで固定され一定範囲から動かないようにされているものは繋留気球(けいりゅうききゅう)と呼ばれている。
積極的に移動するためのエンジンやプロペラなどの推進装置をもつものは飛行船と呼ばれる。浮揚の原理は同じではあるが、任意の方向に移動できるため操縦には免許が必要となる。
気球の開発には継ぎ目等の強度を試験する為に縮尺模型に水を入れて試験を行う[1][2]。
史上初の無人熱気球については、中国などで現代も使われる天灯、ポルトガル人バルトロメウ・デ・グスマンが1709年に実験を成功させた可能性など複数の伝承・記録がある。1783年、フランスのモンゴルフィエ兄弟が発明した熱気球による有人飛行を成功した。以降19世紀にかけて、フランスを中心にヨーロッパで気球ブームが起き、遊覧飛行や冒険飛行が頻繁に行われた。19世紀半ばに動力を備えた飛行船が、20世紀に飛行機が発明されるとそれらに取って代わられ下火となるが、第二次世界大戦後、熱気球はスカイスポーツ (競技)として復活する。ガス気球は気象観測用のラジオゾンデや、宣伝・広告用のアドバルーンなどとして現代でも利用されている。超長距離の記録飛行の多くにはロジェ気球が用いられてきた。
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かつては有人飛行によって、偵察など軍事に使用されていた。近年ではレジャーとしての遊覧を除けば、気球による有人飛行はパラシュートによる降下訓練など用途は限られる。無人気球は気象観測やX線や赤外線による天体観測やオゾン層の観測等に使用される。また、一部において酸素よりも塩素と化合しやすいナトリウム蒸気を成層圏で放出することで塩素原子を吸着することによりオゾン層を修復する試みもある[6]。
歴史的に気球は盛んに軍事利用されていた。
モンゴルフィエ兄弟以来、もっとも一般的な軍事利用気球。形式としては係留気球が大半を占める。初期の航空機に対してケーブルによる有線電話の確実性と乾板写真撮影時の安定性から、第一次世界大戦頃までは盛んに偵察用として軍事利用された。洋上で運用する気球母艦もかつて存在した。
そのイメージから敵戦闘機の攻撃には脆いと思われがちであるが、ゴンドラには機関銃があり、大抵、気球を中心に対空陣地が幾重にも取り囲んであって、時には護衛戦闘機まで配備される上、強力な電動ウインチで急速に昇降するので、実際は観測気球を撃墜するのは至難の業だった。しかし、航空機と無線そして写真機の発達で、第一次大戦後になると有人観測気球は廃れ、ゴム気球のような気象観測用の無人気球が中心となって行った。
第二次世界大戦頃まで使用された航空機妨害用の係留気球。爆撃隊の予想進路上に多数配置して攻撃を阻害する。水素ガスを入れて引火し易いようになっており(これは気嚢破壊の際に、襲撃機を爆発に巻き込んで墜落させるためである)、ナチドイツ空軍は対気球用に機首へワイヤーカッターを装備した爆撃機さえ投入している。英本土航空戦(バトル・オブ・ブリテン)のロンドン上空や、ノルマンディー上陸作戦時の船団護衛に使用された事で有名である。阻塞気球は航空機の進入が低高度であった頃は有効だったが、後に爆撃高度が成層圏に至るまでになると意味を成さなくなった。
1849年7月、オーストリア軍がイタリアのヴェネツィアに対して気球からの爆撃を試みた(「1840年代の航空」を参照)。また、太平洋戦争で日本軍は無人気球に爆弾を搭載して飛ばし、一部はアメリカ合衆国本土に落下して被害を与えた。事実上無誘導なので何処に落ちるかわからず、戦略的な価値は低いものの、何処に落ちるかわからないという点がかえって敵戦力を防衛のために分散させる効果を生むほか、無音であることも相まって一般市民に「気付かないうちに爆撃されるのではないか」という不安を抱かせる心理的な効果があり、まったく無価値であるわけではない。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国民に対して政府への批判を醸成するためのプロパガンダ用のビラを搭載した風船を、韓国の団体が飛ばしたことがある。
宇宙線やオゾン層、気象観測等の調査の為に高高度気球が用いられる。大気の影響の少ない高高度に長時間滞在できる気球の利点を活かして赤外線やX線による天体観測も行われる。
昼間、太陽光で加熱され内部の浮揚ガスが膨張した場合逆止弁を介してガスを放出する。夜間、浮揚ガスが収縮して浮力が減るとバラストを投下するこれを繰り返すことにより、一定の高度を維持する。日本軍の風船爆弾がこの機構を採用。米本土を爆撃している。
浮揚ガスが膨張しても放出しない構造の為に強度の要求水準がゼロプレッシャー気球よりも高い。浮揚ガスを放出しない為に長期間高高度を維持できる[7]。 地球の大気圏だけでなく金星や火星の大気での長期間の観測に使用する計画もある[8]。
FNRS-1はオーギュスト・ピカールの開発した気球である。1931年5月27日、宇宙線やオゾンを研究するために、自らが設計した水素気球に乗ってドイツのアウクスブルク上空16,000 mの成層圏に達した。これは世界初の気球による成層圏到達であり、ピカールはこの業績によりハーモン・トロフィーを獲得した。この気球は直径30mと大型のもので、地上と上空の気圧の差を巧みに利用したものであった。
1932年8月18日にはFNRS-1で自らの高度記録を更新している。彼はその後も気球に乗り続け、計27回の浮上の最高記録は23,000mであった。
その後、ピカールは気球の原理を応用した深々度潜水艇バチスカーフを建造している。
アメリカのベンチャー企業ワールドビュー社は、6人乗りゴンドラを高度30kmの成層圏まで上昇させる気球を開発し、早ければ2019年にツアーを開始するため準備を進めている。高度100km(カーマン・ライン)以下であるため厳密には宇宙旅行ではないが、宇宙飛行士が見るのと近い地球を眺めることができる[9]。
惑星気球とは金星や火星等の大気のある惑星で浮遊する気球で現在、さまざまな案が検討されている[10][11][12]。
外国では気球を航空機としている国が多く、操縦に航空機としてのライセンスを求められる。しかし日本では「空中障害物」として扱われ、気球を飛行させることについての国家資格は無い。
しかし、航空法に基づき、気球を飛行・浮遊させる空域によっては、飛行・浮遊させる事が禁止される場合、または飛行・浮遊させる場合に事前に国土交通大臣への届出が必要な場合がある。また、操縦装置を有する気球は、有人・無人に関わらず、小型無人機等飛行禁止法により、国の重要施設等と周辺の上空は飛行を禁止される場合がある。
佐賀県で毎年10月下旬から11月上旬にかけての1週間に開催されるアジア最大級の気球のイベント。
ツインリンクもてぎで毎年11月に開催される。
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