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本社・日野工場 | |||||
種類 | 株式会社 | ||||
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市場情報 |
| ||||
略称 | 日野、HINO | ||||
本社所在地 |
日本 〒191-8660 東京都日野市日野台三丁目1番地1 | ||||
設立 |
1942年(昭和17年)5月1日 (日野重工業株式会社) | ||||
業種 | 輸送用機器 | ||||
法人番号 | 8013401000626 | ||||
事業内容 |
トラック・バスの製造販売 トヨタ自動車株式会社からの受託生産 | ||||
代表者 |
代表取締役会長 市橋保彦 代表取締役社長 下義生 | ||||
資本金 | 727億1,700万円(2017年3月31日時点) | ||||
発行済株式総数 | 5億7,458万850株(2017年3月31日時点) | ||||
売上高 |
連結:1兆6,837億2,000万円 単独:1兆2,158億1,900万円 (2017年3月期) | ||||
営業利益 |
連結:711億7,800万円 単独:238億4,600万円 (2017年3月期) | ||||
純利益 |
連結:494億800万円 単独:321億9,100万円 (2017年3月期) | ||||
純資産 |
連結:4,738億9,100万円 単独:3,506億8,600万円 (2016年3月31日現在) | ||||
総資産 |
連結:1兆1,198億8,800万円 単独:7,130億2,700万円 (2016年3月31日現在) | ||||
従業員数 |
連結:3万2,111人 単独:1万2,622人 (2017年3月31日時点) | ||||
決算期 | 3月31日 | ||||
主要株主 |
トヨタ自動車(株):50.1% 日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口):4.6% 日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口):3.7% (2015年3月31日現在) | ||||
主要子会社 |
(株)トランテックス:100% (株)武部鉄工所:51.7% (株)ソーシン:96.2% 東京日野自動車(株):99.9% 大阪日野自動車(株):100% | ||||
関係する人物 |
湯浅浩 加藤光久 寺師茂樹 | ||||
外部リンク | http://www.hino.co.jp/ | ||||
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日野自動車株式会社(ひのじどうしゃ、英語:Hino Motors, Ltd.)は、東京都日野市に本社を置く、主にトラック・バスといった商用車を製造する日本の自動車メーカーである。通称「日野」、ローマ字表記は「HINO」。トヨタ自動車の連結子会社でトヨタグループ16社のうちの一つ。 日本のトラック・バス業界最大手。日経平均株価及びJPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ。
主にトラックやバスなどの商用車の生産を手がけ、トヨタブランドの小型乗用車や小型、普通トラック、SUVなどの生産も行っている。また、トヨタが陸上自衛隊へ納入する73式中型トラックやトヨタ向けディーゼルエンジンの生産、あるいはハイブリッドシステムの共同開発も行っている。
2004年3月期の連結決算では、売上高が1兆円を突破し、営業利益も446億円と過去最高益を記録した。ディーゼル車の排出ガス規制に伴う買換え需要による日本国内のトラック販売の増加と、海外での販売の好調、トヨタからの受託生産の増加が要因とみられている。
また、合理化のためにバス部門はすでにいすゞ自動車と経営統合しており、2004年10月に日野自動車・いすゞ自動車共同出資の新会社(ジェイ・バス)に移行、いすゞと共通の車両をジェイ・バスより供給される形態となっている(一部車種はいすゞが開発)。なお、いすゞはもとは日野の母体になった会社でもあり、また現在はトヨタ自動車との提携関係にあるため日野との関係も深い。同時に、西日本車体工業(西工)へのシャーシ供給を取りやめている。2006年から一部の路線車に限り、西工へのシャーシ供給が再開したが、それも2010年10月の西工の解散と共に終了している。
2007年には、海外向け販売台数が国内向けを上回り、現在、総販売台数の7割以上を海外向けが占めている。
世界各地に拠点を有していると同時に、台湾やタイ、インドネシア、マレーシア、パキスタン、ペルー等ではトップシェアを誇っている。
2013年には、世界で初めてハイブリッドトラック・バスのグローバルでの累計販売台数が1万台を突破した。
世界の大型トラック製造メーカーの中で、毎年生産台数トップ10にランクしており、日本国内の大型・中型トラック販売では、2017年現在、44年連続シェアトップを誇る。
日本国内の大型車メーカーでは唯一、ダカール・ラリーに「日野・レンジャー」で参戦しており、1997年のダカール・ラリーではトラック部門総合では史上初となる1・2・3位を独占するなど好成績を上げている。また、2017年大会で参戦27周年を迎える。排気量10リッター未満クラスにおいては2017年大会で8連覇を達成している。
2017年現在、大型トラック顧客満足度調査において8年連続で1位を記録。小型トラックでも、3年連続で1位を記録している。
東京都八王子市の日野自動車21世紀センター内に、日野オートプラザという日本で唯一のトラック主体の企業博物館を持っている。
2001年、トヨタ自動車が株式の過半数を取得し、ダイハツ工業に続き子会社化される。
東京瓦斯電気工業株式会社(瓦斯電 = がすでん)が今日の日野自動車の母体とされている。
東京瓦斯電気工業はその名の通り、明治時代末期から大正時代にかけ、普及期にあったガス・電気器具を生産。また第一次世界大戦時には海外から薬莢の大量受注などにより業績を伸ばし、航空機用国産エンジン「神風」なども生産している。さらに「TGE」(Tokyo Gas Electric Engineering Co. の頭字語)のブランドで、日本でも初期の自動車量産に取り組んだ。
1930年代、大型車両生産を強化しようとする国策により、東京瓦斯電気工業株式会社の自動車部と自動車工業株式会社、および共同国産自動車株式会社とが合併し、ヂーゼル自動車工業(現・いすゞ自動車、設立当初は東京自動車工業株式会社)を設立した。そのほか、瓦斯電を母体とした会社にはトキコ、小松ゼノアなどがある。
その後、戦時体制下の国策により、総合車両メーカーのヂーゼル自動車工業から特殊車両製造部門の日野製造所が分離独立させられることになり、日野自動車の元となる日野重工業を設立させ、九七式中戦車などの軍需車両の製造を行わせた。企業系譜としてはいすゞ自動車の分派ではあるが、日野製造所が星子勇ら瓦斯電系出身の技術者を主軸とした製造拠点であったことから、日野自動車では自社のルーツを瓦斯電に求めている。
終戦後の1946年には、ディーゼルエンジン技術を生かして当時としては異例の超大型トレーラートラック・バスを開発、次いで1950年以降は通常シャーシ(単車)の大型ディーゼルトラック・バスの生産も開始して、母体企業のいすゞと競合する大型車両業界の有力メーカーとなった。
1953年には、フランスのルノーの技術供与を受け、小型乗用車ルノー・4CVのノックダウン生産を行い、後に完全国産化を果たした。その後自社開発のリアエンジン(RR駆動)小型乗用車「コンテッサ」、ピックアップトラック「ブリスカ」、前輪駆動で4輪独立懸架のワンボックスカー「コンマース」など、先進的な車を開発、生産していたが、1966年のトヨタ自動車との提携以後は、再びトラック・バスの開発・生産に特化して現在に至っている。
2010年12月22日、茨城県開発公社より茨城県古河市名崎4112番1外の古河名崎工業団地(旧NTT名崎無線送信所跡地、古河市立名崎小学校南側)を約59億円で取得した(2009年1月に予約していた)。2012年~2020年にかけて、新工場を建設する。まずは海外輸出のKD工場を2012年まで移管する予定である[6]。最終的には2020年までに日野工場の全ての機能を古河新工場に移管して、日野工場を閉鎖する予定[4]。
バスについては、トヨタ自動車・いすゞ自動車からのOEM車種もあるが、ジェイ・バスから日野自動車・いすゞ自動車の両社に同一製品が供給される統合車種に移行が進んでいる。
太字の車種は、いすゞ自動車より供給されたもの。
クレーン、杭打ち機、フォークリフト、ロードローラー、プレジャーボート用小型船舶エンジン、コンプレッサー、発電機用として国内外各社にエンジンを供給している。
型式 | 内径×行程(mm) | 排気量 | 出力(PS) |
---|---|---|---|
W04C-T | 104×113 | 3,839 | 50 - 81 |
W04D | 104×118 | 4,009 | 35 - 63 |
W04D-T | 104×118 | 4,009 | 50 - 85 |
W04D-TI | 104×118 | 4,009 | 69 - 118 |
型式 | 内径×行程(mm) | 排気量 | 出力(PS) |
---|---|---|---|
J08C | 114×118 | 7,961 | 74 - 129 |
J08C-T | 114×118 | 7,961 | 119 - 173 |
J08C-TI | 114×118 | 7,961 | 118 - 177 |
型式 | 内径×行程(mm) | 排気量 | 出力(PS) |
---|---|---|---|
K13C-T | 135×150 | 12,882 | 189 - 239 |
K13C-TI | 135×150 | 12,882 | 231 - 278 |
K13D | 137×150 | 13,267 | 127 - 177 |
K13D-T | 137×150 | 13,267 | 160 - 199 |
廃止された型式および車名を示す。
オート三輪は三井精機工業製で1960年代初頭まで日野で販売された。
1980年代前半の「風のレンジャー」と称されたレンジャーのCMに桂歌丸、佳那晃子、ジャンボ鶴田の3人を起用した。続く1986年発売のレンジャー+5 のCMには「日野」つながりで日野皓正の曲をBGMに使用した。1989年のレンジャーフルモデルチェンジの際には、トラックのイメージ一新を狙い、ダイアン・レインを起用した。また1990年代前半にはスーパードルフィンのCMにケニー・Gの曲にイルカのCGイラストが流れるもの、1992年のモデルチェンジ時には役所広司出演のCMも流れた。1990年代後半のデュトロ発売当時はともさかりえがCMに出演していた。2004年以降はポパイが同CMに起用されている。「走れ!歌謡曲」の影響があってか文化放送で比較的多く(1日中)流れる。近年はTBSラジオやニッポン放送でもCMを流す。かつて放送されていたABCラジオの近鉄バファローズアワーでは試合中継の際にスポンサーとなっていた。これは大阪近鉄バファローズの親会社であった近畿日本鉄道(近鉄バス)との関係が深いためである。
トラックだけでなく、バスのCMも流す事もあった。モデルチェンジ時に制作され、セレガ(初代)のCMはバブル期の1990年ということもあり、大々的な宣伝活動を行っていた。
テレビCMは、フジテレビの「ご存知 女ねずみ小僧」・「新・座頭市」・「大空港」・「裸の街」・「欽ちゃんの9時テレビ」・「江戸の用心棒」・「超潜入!リアルスコープハイパー」・「ボクらの時代」・「おじゃマップ」・「VS嵐」・「フジテレビ水10ドラマ」・「FNSの日」、関西テレビの「にじいろジーン」、TBSの「ドラマチック22」・「ブロードキャスター」・「さんまのスーパーからくりTV」、日本テレビ火曜8時枠時代劇、24時間テレビ 「愛は地球を救う」のスポンサーも務めていたが、「踊る!さんま御殿!!」の番組途中で降板するも、2011年10月にテレビ東京系列の「乃木坂って、どこ?」、ミニ番組「ひるパパ」で久々にテレビ番組のスポンサーになった(提供コメントでは「日野・デュトロ」と読み上げている。沖縄での日本テレビ火曜夜8時枠でのCMは沖縄テレビで放送された)。また、2013年4月にTBSの「水曜プレミアシネマ」に1992年以来のスポンサーとして提供するようになった。
JFN系列土曜もしくは日曜5:00〜13:00の時報CMにも起用されている。
モータースポーツではインディカー・シリーズの有力チームであるチーム・ペンスキーとスポンサーシップ契約を締結している。
書籍・雑誌ではバスラマ・インターナショナルに書籍広告を出している。バブル期には漫画ゴラクに広告を出していた。
1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)発生時は近畿地方のテレビ・ラジオのCMを自粛する処理で対応し、それ以外のエリアでは通常通りCMを流していたが、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、未曾有の災害と東京電力・福島第一原子力発電所での事故などの被害を受けて3月15日 - 4月21日まで全てのラジオCMを自粛した。4月22日にラジオCMを再開するも当面は企業CMや緊急災害時のトラック運転に対する心構え、燃料の節約に関するお願いなど「日野自動車が今、何かできること」を宣伝していた。7月1日より主力トラックのデュトロの新CMを制作、放送すると同時にイメージタレントに佐々木蔵之介、柳沢慎吾、新山千春を起用したテレビCMスポットとラジオCMを流している。この3人には実家が自営業であるという共通点があり、特に佐々木の実家佐々木酒造は実際にデュトロハイブリッドのユーザーでもある。また、ブランドCMとして、ダカールラリーへの挑戦「明日を止めないために」を放送している。
日野工業高等学園は、日野自動車株式会社が職業能力開発促進法に基づき運営する認定職業訓練による職業能力開発校で、東京都日野市にある。もとは1951年4月に、労働基準法に基づき、中学校卒業後入社した社員を対象とした3カ年教育の技能者養成所で、事業内職業訓練施設として認定される。これを1959年6月に「日野自動車工業高等学園」と改称。1962年11月から、学校教育法に基づき文部大臣の指定を受けて指定技能教育施設となり、東京都立八王子工業高等学校との連携を開始。1964年4月には、科学技術学園高等学校と連携を開始した。1970年代後半から1980年代にはしばらく休止していたが、1991年3月に「日野工業高等学園」として機械科と板金科の2科で再開、また、4月には専修コースを設置した。その後自動車整備科、電気制御回路組立科を追加した。2003年に専修コースの募集は休止したが、2017年現在は、機械加工科、塑性加工科、製造設備科、自動車製造科の4科で運営されている。
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