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メルセデス・ベンツ(独: Mercedes-Benz)は、ドイツの自動車会社、ダイムラーが所有する乗用車、商用車のブランドである。
「メルセデス」とは、1899年当時、ダイムラー車のディーラー(販売代理店)を経営していたオーストリア=ハンガリー帝国の領事でありユダヤ系ドイツ人の富豪であるエミール・イェリネック[1]の娘の名前である。イェリネックは自らが販売する自動車に、「ダイムラー」という硬い響きを避け当時流行していたスペイン風の響きを持つ名を冠した[注釈 1]。この「メルセデス」ブランドは非常に有名になり、ダイムラーは1902年、「メルセデス」を商標登録した。
なお、欧米では一般に「メルセデス」「メルセデス・ベンツ」と呼ばれるのに対して、日本では「ベンツ」と呼ばれることが多い。ただしメルセデス・ベンツ日本の広告(「メルセデス・ベンツ」と表記)やモータースポーツ記事の一部(チーム名に「メルセデス」が使われる関係上)を除く。自動車評論家の徳大寺有恒や、作家・評論家の五木寛之の著書、一部の自動車雑誌においては、ドイツ語の発音に沿った「メルツェデス」という表記が用いられることがある。
1926年に、共にほとんど同時期に設立された世界最古の自動車会社であるベンツ&シー・ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリーク(1883年-1926年)とダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト(1890年-1926年)、両社の1926年の合併により正式に「メルセデス・ベンツ」がスタートした。以降社名はダイムラー・ベンツ(1926年-1998年)、ダイムラー・クライスラー(1998年-2007年)、現在はダイムラー(2007年-)と変更されているがブランド名の変更はない。現在ドイツ、シュトゥットガルトを拠点に、乗用車と商用車の製造、販売を「メルセデス・ベンツ」で展開している。
日本では、以前の輸入元であったヤナセによるブランド戦略もあり、現在でも依然として、高級車専門メーカーだと誤認をされていることが少なくない。
しかし実際には比較的安価な車種も多く扱っている。 そもそもメルセデス・ベンツは、バンやタクシー、大型バスやトラック、ダンプカーなどの営業車・商用車・各種作業車、救急車などの特殊な車両、果ては軍用車両までと極めて幅広い種別の自動車を扱っており、欧米ではボルボ、ルノーなどと同様の自動車総合メーカーとして認知されている。Sクラスをはじめとする高級セダンやSUVは、日本では医師や弁護士、経営者、スポーツ選手、芸能関係者などが好む車の代名詞として知られている一方で、暴力団、マフィア、武器商人、犯罪収益者などの利用も多く、威圧的、成金趣味、怖い人が乗る車[2]、外交官の公用車[3]、ビバリーヒルズの歯医者の車[3]などマイナスイメージとして表象される面もある。冷戦時代においては西側の自動車会社にもかかわらず東側諸国の外交官の利用も多く、「ペルソナ・ノン・グラータ向けの車」と揶揄されることもあった。
日本での新車販売価格は200万円台後半から。同クラスの日本車と比べおよそ1.5倍~2倍程度の価格設定になっており、全体的に高価格である。Eクラスは、日本では世帯年収の平均を超える価格設定からだが、欧州ではタクシー用をはじめ廉価なグレードもあり、多様な層が利用する車種として知られている。
2006年の販売台数クラス別ランキング(世界)では、1位はEクラス(634~1530万円)、2位はSクラス(1065〜3040万円)、3位はCクラス(400〜1250万円)、4位はBクラス(300〜385万円)である。
カー・アンド・ドライバー誌が東京・青山通りで行なっている車種別の通行数ランキングでは、トヨタ・カローラなどの日本メーカーの大衆車を押さえ、社有車・社用車としての登録が多いEクラスが1位の常連になっており、登録、使用本拠の地域的偏在も大きい。
バスやバン、特殊車両なども含めた商用車の主な市場は、ヨーロッパのほか、中東、アジア、ラテンアメリカ諸国などである。商用バン・スプリンターや、ミニバンであるVクラスの商用バージョンVitoは様々な仕様が存在しヨーロッパ各地で使用されているほか、北アメリカでは、スプリンターがバッジエンジニアリングを受け、クライスラーから「ダッジ・スプリンター」として販売されている例がある。
また、フランスのルノーからはカングーをベースとした小型商用車を「シタン」の名でOEM供給されている。
韓国の双竜自動車へは技術供与を行い、商用バンMB100をベースにイスタナを生産、MB100と共に東南アジア圏などで広く利用されている。日本ではダイムラー子会社のバスなどを三菱ふそうトラック・バスが販売、多目的商用自動車であるウニモグをワイ・エンジニアリングが販売している。
エンジンやトランスミッションを他社に供給するサプライヤーとしての一面も持っており、かつてポルシェやジャガーに自社製のATを供給していた。現在日本でも日立建機や加藤製作所などの重機メーカーが、メルセデス製のディーゼルエンジンを搭載した製品を、また日産自動車がメルセデス製ガソリンエンジンを搭載したスカイライン200GT-tをラインナップしている。
1886年にドイツの技術者、カール・ベンツによって創設された世界最古の自動車メーカーの一つ。1886年に世界初の自動車として初の特許を取得している。当時は自動車の有用性に気が付く者はなく、「交通の主役である馬を怖がらせる邪魔者」であった。
そうした中、妻のベルタ・ベンツは、夫の発明を世間に認めてほしいと考え1888年8月5日、夫が寝ている間に二人の息子と車に乗りマンハイムの町を出発した。当時の道は舗装されておらず、空気タイヤもまだ自転車用が発明されたばかりでその過酷さは余りあるものだった。ガソリンスタンドもなく、薬局でシミ抜き用のベンジンを購入してそれを給油しながら旅を続けた。やがて陽の暮れる頃106km離れたプフォルツハイムの町に到着する。車の回りには人々が集まり、ベルタたちに賞賛の声を送った。この時の速度(距離と時間)は、当時の馬車なら10頭以上の馬を乗り換えなければならないほどのもので、この成功により夫の発明は知られるようになり、妻は世界初の女性ドライバーとして自動車長距離旅行の歴史に名を残すことになる。
1920年代より当時ヨーロッパで盛んになっていたモータースポーツに積極的に参戦し、数々の好成績を収めその名声を確固たるものにした。
1926年にベンツとほとんど同時期にゴットリープ・ダイムラーが創設したダイムラーと合併する。
国家社会主義ドイツ労働者党の党首にしてドイツの指導者であったアドルフ・ヒトラーは、政権獲得後の1933年2月11日、国際ベルリンモーターショーにおける開会宣言で新時代の交通機関である自動車と自動車道路の建設に注目し、モータリゼーションを加速することが国家の防衛力を高めることになると説いた。これ以降政府は自動車税の撤廃、アウトバーン建設、国有鉄道にトラック輸送部門の新設等の政策を打ち出した。
ナチスは、党内に国家社会主義自動車軍団(NSKK)を設け、運転技能者育成を始める。ベンツは運転教官の派遣、教習車の無償提供、国家社会主義ドイツ労働者党機関への役員の派遣等で積極的に対応し、国家社会主義ドイツ労働者党の強力なバックアップにより、グランプリ・レース、ル・マン24時間やミッレミリアなどのレースで同じくバックアップを受けるアウトウニオンなどとともに活躍した。
1935年のドイツ再軍備宣言以降のドイツの軍備拡張を支える企業として、戦闘機のエンジンや軍用車両などの生産を行なった。1939年9月に勃発した第二次世界大戦中は軍需生産に集中して、連合軍の爆撃の標的になるなどして、ドイツの敗戦までの約6年間に壊滅的な損害を受ける。大戦中にユダヤ人や連合軍の捕虜を大量に強制労働者として使用したことから、戦後多額の賠償金を支払うことになった。
1950年代以降のドイツ経済の回復に合わせるように、有名な300SLや、ミッレミリアやル・マン24時間レースで大活躍した300SLRなどの数々の名車を送り出す。
1960年代後半に発売されたミディアム・クラス(現在のEクラス)や、1971年にデビューした3代目のメルセデス・ベンツ・SLクラス(R107/C107)、「サッコプレート」で有名なブルーノ・サッコの手によるW124(このときからコンパクトクラスが「E」クラスと呼ばれる)、ドイツのヘルムート・コール首相の専用車であったW126(クーペの「SEC」は「C126」)、そしてアメリカのCAFE対策で生まれたW201(通称190E。現在のCクラスにつながる)、などのヒット作を市場に送り出し、高級車市場での存在感を持ち続けている。
これらのモデルのシートは、世界でも唯一の高品質で凝った構造と評されており、非常に快適なことで知られる。下からコイルスプリング、網状のスプリング(Sばね)、ウレタン製ダンパー、シュロ毛と馬毛で作られた通気性の良いクッション、ウール製の表皮(ベロア、ファブリック)で構成され、十分なサイズと調整機能(電動調整式が多い)があり、滑らず疲れにくく、耐久性も著しく高かった[注釈 2]。
1980年以降、オプション装備としてのエアバッグ設定で先行するなど、自動車の安全向上に関わる実績がある。ジグザグ形状のゲート式ATシフトレバー(現在特許が切れて、多くの自動車メーカーにより模倣されている)、衝撃吸収三叉式構造ボディ、シートベルトテンショナー、レインランネル(雨水を窓に流さないボディ構造)、凹凸のあるテールランプ、衝突時に体を守るステアリングコラムとブレーキペダル、横滑り防止装置、グリップ式ドアハンドル、本体強度・取り付け強度共に高い独自のシート、伸縮しながら窓を拭くワイパー、2速発進および2速後退機能つきAT、安全性を徹底追求したシャシ、アウトバーンにおける高速度での事故に対応した車体剛性など。
2010年以降に順次発売されているメルセデス・ベンツ各車種は、ライトスイッチから「OFF」が廃止されており、「ON」と「AUTO」(自動点灯)の選択のみになっている。これは、夜間の点け忘れ及びトンネル内や夕暮れ時、悪天候時などの無灯火走行を、ドライバーではなく、車の側で確実に防止するという、メルセデス・ベンツ流の思想に基づく安全設計である。
メルセデス・ベンツが他社に先んじて採用したデザインや装備が、他社に大きな影響を与えていることがある。一例として、1998年に4代目Sクラスが世界初採用したドアミラー内蔵式の側面方向指示器は、世界中のメーカーが模倣および追随しており、2016年現在では多くの車種に標準装備されている。この装備に関しては、安全性の向上に寄与し得るとの調査結果がある[4]。
かつてメルセデス・ベンツは有名な「最善か無か(Das Beste oder nichts.)」の企業スローガンのもと、「全ての形に理由がある」と言われるほどの質実剛健さ[要出典]を持ち、妥協無き車造りを目指していた。しかしその結果としての高コスト体質・製品の高価格化も事実であり、1990年代中盤以降の自動車産業を取り巻く環境の変化(特にグローバリゼーションの進行)を前に、同社も生き残りのため利益率向上やコストダウンを目指すことになった。
しかし、それによってメルセデス・ベンツは、かつての名声を裏切るような、その品質や性能に疑問符を持たれる製品を市場に出してしまうことになる。
特に1997年に発売されたメルセデス・ベンツとして初のアメリカ工場(アラバマ州)で生産されたMクラスは、その低品質で「アラバマ・メルセデス」と酷評され、全世界におけるブランドイメージを大きく落とす結果になった。4代目Sクラス(W220)及び2代目Eクラス(W210)が登場した際、古くからのメルセデス・ユーザーが代替した直後、乗り味や質感に強いギャップを感じ、早々に手放し、代わりにそれぞれの先代モデル(Sクラス:W140、Eクラス:W124)を求める事態すら発生した。これらにより、1990年代後半には「最善か無か(Das Beste oder nichts.)」の理念のもとに製造された過去の車種が、一時的に中古車市場で品薄となり、装備や程度の良い車が新車よりも高値となる事例も発生した。
これらの問題に対してメルセデス・ベンツは、各車種のイヤーモデルごとに品質の改善を進め、1998年デビューの後期型Cクラス(W202)や、1999年デビューの後期型Eクラス(W210)の品質改善、2000年代以降のモデルであるEクラスやSLクラス、SLKクラスなどでの初期設計からの品質改善などを進めた。
しかしEクラスやSLクラスで採用されたセンソトロニックブレーキは誤動作が多く国内外で数度のリコールとなり、長年トップクラスであったEクラスの販売はその後低迷し現在に至っている。
2005年以降のイヤーモデルでは、Sクラス(W221)の発売や最販車種であるEクラスの各種リコールによる問題部分の改善が進み、2010年代中盤に入ると、各モデルの品質や信頼性は高くなっている。
また、シート構造に関しては、従前のヤシ(シュロ)のクッション+金属ばね(以前のコイルばね、その後のSばね)を、現在では一般的な発泡ウレタンに変更しており、コストダウンと評されることもある。ただしホールディング能力や、プリテンショナー付きシートベルトとの親和性が高い点など、衝突を含めた安全性では新世代シートが勝るともいわれる。
なお、現在では、メルセデス・ベンツも再び「最善か無か(Das Beste oder nichts.)」のスローガンを使い、かつての理念の復活をアピールしている[5]。2015年頃より日本国内の公式ホームページおよびテレビCMでも、同じ意味の英語「The best or nothing」を使い始めている。
1997年に登場したメルセデス・ベンツ・Aクラスを使い、スウェーデンの自動車雑誌「テクニケンス・ヴァルト」(Teknikens Värld)がエルクテスト(ヘラジカが突然進路上に現れたときそれを素早く回避するという設定で行う運転操作)を実施したところ、横転してしまい「メルセデス・ベンツにあるまじき失態」と世界中のメディアで報じられることになった。その後、メルセデス・ベンツは発売した全てのAクラスをリコールし、サスペンションの再調整やESPを装着するなどの改修を実施したものの、この事件が世界中で取り上げられたことと、同時期に発売されたMクラスが、設計の悪さと低品質で酷評されたことで著しく評価を下げることになった。
2004年から2005年にかけて発生した、ボッシュ製SBC(センソトロニック・ブレーキ・コントロール)の2度に渡るリコールは、主力車種であるEクラスと、看板車種のSLクラスで発生し、ベンツにとっては大きな痛手となり、経営を極度に悪化させる原因になった。
このSBCは雨天時などの走行でブレーキディスクが濡れ、通常であれば制動力を損じてしまうようなケースでも意図的にブレーキバットをブレーキローターに僅かに接触させ、摩擦熱でディスクを乾かしたり(鉄道車両では、「耐雪ブレーキ」などで以前から使われている制御)、アクセルペダルを放した瞬間、ブレーキングにそなえてブレーキバッドをブレーキローターに接触寸前まで近づけ、タイムラグを短縮するなど、ブレーキの応答性と能力を高めるものであるが、そのセイフティープロセスの要であるセンサ類の不具合によりSBCが作動せず、前輪2輪のみに効き通常の約5倍の踏力を必要とする「バックアップモード」に入るというものであった[6]。
2005年8月以降に発売されたEクラス、SLクラスでは、各種リコール対応により充分な信頼性の確保が行われたが、マイナーチェンジ後はこの装備がなくなっている。この年のアメリカでの信頼性調査でメルセデス・ベンツは37ブランド中29位、ジャーマン・オートモービル・グラブの顧客満足度調査では、33ブランドのなかで最下位になった。
2007年11月、ダイムラーは子会社である三菱ふそうトラック・バスが持つハイブリッド技術を流用したディーゼル・トラックを、2008年中を目処に同社のメルセデス・ベンツブランドから発売するとの計画を発表した(『産経新聞』2007年11月12日)。
乗用車においては、2009年、メルセデス・ベンツの乗用車としては初のハイブリッドカーである「S400 Hybrid」(W221)が追加された。このモデルはマイルド・ハイブリッド(ガソリンエンジン+モーター)であり、またリチウムイオン二次電池を搭載した世界初の量産車である。Sクラスのハイブリッド仕様は、次のモデルであるW222にも継続され、ガソリンエンジン+モーターの「S400h」だけでなく、ディーゼルエンジン+モーターの「S300h」も追加された。これらのモデルは日本市場にも逐一導入されており、特にS300hについては、クラス唯一のディーゼルエンジン搭載モデルとなっている。
また、2012年からはEクラスにもハイブリッドカーが追加された。3.5Lガソリンエンジン+モーターの「E400 Hybrid」、またディーゼルエンジン+モーターの「E300 BlueTEC Hybrid」である。「E400 Hybrid」は市場を限定し、日・米・中の3カ国のみに導入された。それに対し「E300 BlueTEC Hybrid」はヨーロッパのみならず世界市場に展開されたものの、日本市場へは導入されなかった。
プラグインハイブリッドカーに関しては、CクラスとGLCクラス、そしてSクラスにそれぞれ「C350e」「GLC350e 」「S550e」として設定しており、日本へも導入している。その結果、メルセデス・ベンツは2016年現在、日本において「ガソリン・ハイブリッド」「ディーゼル・ハイブリッド」「プラグイン・ハイブリッド」という3種類ものハイブリッドカーを同時にラインアップする、唯一の自動車ブランドとなっている[7][8][9]。
メルセデス・ベンツの車体に輝くエンブレムは、合併前のダイムラー社が使用していたスリーポインテッド・スターとベンツ社の円形月桂冠とを併せデザインされたもので、3点にはそれぞれ「陸・海・空」の各分野でダイムラーベンツ社の繁栄が込められている。
メルセデス・ベンツのセダン、クーペ、オープンカーでは、銀色のボティカラーの人気が高い。理由のひとつとしてあげられるのが、「シルバー・アロー」の逸話である。1934年 - 1937年のグラン・エプルーブ(現在のF1世界選手権に相当)、グランプリ・レースは、後に「750kgフォーミュラ」と呼ばれることとなる、車重を750kg以下とするレギュレーションで実施されていた。1934年のニュルブルクリンクにおけるアイフェル・レンネン(アイフェルレース)前夜、車両重量規定をわずか1キログラムオーバーしてしまったメルセデス・チーム(監督はアルフレート・ノイバウアー)は、苦肉の策としてボディーの純白の塗装をすべて剥がすことを決断する。一晩かかって塗装を落としたアルミむき出しの銀色のボディーに、直接ゼッケンを貼り付けてレースに参戦、そしてこの車を駆るマンフレート・フォン・ブラウヒッチュが優勝する。以降メルセデス・ベンツのレーシングカーは銀色がトレードマークとなり、「シルバー・アロー」の愛称で呼ばれるようになり、モータースポーツにおけるドイツのナショナルカラーも、それまでの白色から銀色とされた。同時期に活躍した、アウトウニオンも同様に銀の塗装で「シルバー・フィッシュ」と呼ばれ、第二次世界大戦の勃発する1939年まで、シルバー・アローとシルバー・フィッシュのドイツ勢が、グランプリを席巻するのである。
2014年、近年の車種拡充にともない車名が複雑になっていることから、メルセデスベンツは車種の新しい命名方法を発表した[10]。
これにより、2015年からこの命名方法に基づき、一部車種の車名が順次変更される。
既存のクラスである「A」「B」「C」「E」「S」をコアにし、その頭にSUVを意味する「GL」やロードスターを意味する「SL」、またはクーペの「CL」をつけ、各モデルバリエーションとする。そのため、SLKはSLCとなり(3代目SLクラスに存在した4シータークーペと同じ名称になる)、「ML」はGLE、「GL」はGLSと順次変更される。これでSUVやロードスターでも明確にクラスがわかるようになる。なお、CLAやGLAクラスは、既に新しい命名方法に準じた車名となっており、変更はない。またCLSは実際にはEクラス・ベースの車種だが、「EクラスとSクラスの中間に位置する4ドアクーペ」として、こちらも名称変更はない。
加えて、パワートレインの種類により、数字の最後にそれを表すアルファベットが付くことなり、圧縮天然ガス車は「c」、ディーゼル車は「d」、電気自動車は「e」、燃料電池車は「f」、ハイブリッドカーは「h」となる、四輪駆動車モデルは今まで通り「4MATIC」のサブネームが付く。
基本モデル
セダン・ワゴン・コンパクト |
4ドアクーペ |
オープン・2ドアクーペ |
クロスカントリー・SUV |
---|---|---|---|
G | |||
Sクラス | SL | GLS(GL) | |
Eクラス | CLS | GLE(ML) | |
Cクラス | SLC(SLK) | GLC(GLK) | |
Bクラス | CLA | ||
Aクラス | GLA | ||
黄色の車種が車名変更された車種。括弧内は旧車名 |
日本における販売台数は、63,999台(2015年、日本自動車販売協会連合会)である。輸入車新規登録台数は1位で、シェアは22.77%、外国メーカー車モデル別トップ20中に6モデルが記載されている。内訳は、3位:Cクラス 21,031台、9位:CLAクラス 8,054台、11位:Aクラス 6,752台、12位:Eクラス 6,097台、13位:Sクラス 5,844台、15位:GLAクラス 5,241台(2015年、日本自動車輸入組合)である。
ブランドの知名度を上げるため、日本国内限定のアンテナショップ「メルセデス・ベンツ コネクション」の運営も行っている。
正規ディーラーとして長年取り扱ってきたヤナセ[注釈 3]と、1990年代以降にスタートしたシュテルン(現メルセデス・ベンツ店)での取り扱いが行われている。
バブル景気末期の1980年代後半から1990年代前半にかけて、一部の三菱ギャラン店で販売されていたことがあった。現在も三菱系ディーラーがメルセデス・ベンツ店を運営する場合もある。シュテルン店の母体の一部にはトヨタや日産などの日本車ディーラーの子会社が運営しているところもある。このほか、並行輸入がいくつかの輸入業者によって行われており、正規輸入ディーラーでは取り扱っていない車種やオプションの組み合わせでも購入できる。
メルセデスオーナーのプライドとブランド忠誠心を増す方法として、またメルセデス車の耐久性を示す方策の一環として、走行距離が10万キロ、20万キロ、30万キロ、50万キロ、100万キロを超えた時、または、10年、15年、20年、25年、30年を超えた時にはオーナーの申告により、それぞれ赤、青、黒、ゴールドの記念エンブレムと証明書がメルセデス本社より交付されるシステムが存在する。2000年ころを機に一度消滅したが、近年復活している。
正規販売店で新車を購入した場合、3年間の無料保障と故障や事故時に「24時間ツーリングサポート」を受けることができるサービス。日本において、1998年4月から(AMG、Gクラスは6月以降)開始された。
特徴的なのは、一般的な故障などのほか、ワイパーブレード、オイル、ブレーキパッド、ブレーキディスクなど一部ではあるが消耗品も無料交換の対象となることである。車検整備にかかる費用及び車検取得に必要な諸費用は含まれない。
欧米の正規代理店で購入できる車種と、日本国内の正規代理店から購入できる車種で、装備や内装などに違いがあることがある。販売戦略によるケースや、電波法など法令にかかわる面が大部分である。例えばSOSシステムは事故時などに、自動的に事故情報と生存者の状況を問い合わせるための音声回路が接続されるシステム。北米で運用されているもので日本では導入されていない。
他の自動車ブランド同様に、中古車が広く販売されており、かなり安価に購入することができる。しかし日本車と比べ既出にあるような高級車イメージが保持されており、現行モデルに限っては値段の下落は比較的少ない。ただしモデルチェンジの間隔が長いこともあり、旧モデルや旧々モデル、不人気のグレードやボディカラーによってはかなり安くなる。新車登録から10年を超えるような車では安価なものもあり、Sクラスですら100万円以下ということも珍しくない。
正規輸入ディーラーとしてコマツ、シュテルンおよびその他ディーラーでの取り扱いが行われていたが、ダイムラー・クライスラーと三菱ふそうトラック・バスとの関係の強化に伴い、2006年までに日本における輸入販売事業から撤退した。
ウェスタン自動車(メルセデス・ベンツ日本総代理店)によって1985年に輸入され、1986年に宮城野観光バスに導入されたものが最初である。その後、日の丸自動車興業や岐阜バスなどで導入された。
当初はほとんどが貸切バスとしての導入であるが、日本急行バス(当時)では、名神ハイウェイバス名古屋~神戸線を中心に「ベンツ特急」と銘打って昼行高速バスへ投入した。
1993年に西日本鉄道などへ導入された2台を最後に、新車での輸入は途絶えていたが、2006年になって、東京都内の新規貸切バス事業者亜希プロによって、イギリスで使用されていたスーパーハイデッカー「トゥーロ」が中古車で2台輸入されており、その後1台が日の丸自動車グループに売却されている。
路線バス車両については、大阪市交通局の小型コミュニティバス(通称「赤バス」)にメルセデス・ベンツ・スプリンター(T1N)が13台導入されたのが最初である。2007年末には神奈川中央交通に連節バス(メルセデス・ベンツ・シターロ)が導入されている。
様々な特殊パーツを装備できるウニモグをワイ・エンジニアリングが販売している。
外観 | 車名 | 形態 | 初登場年 | 現行モデル |
---|---|---|---|---|
Aクラス | ハッチバック | 1997年 | W176(3代目) | |
Bクラス | 2006年 | W246(2代目) | ||
CLAクラス | 4ドアクーペ シューティングブレーク |
2013年 | C117(初代) | |
Cクラス | セダン ステーションワゴン クーペ |
1993年 | W205 S205 C205(4代目) | |
CLSクラス | 4ドアクーペ シューティングブレーク (ステーションワゴン) |
2005年 | C218(2代目) X218(2代目から登場) | |
Eクラス | セダン ステーションワゴン クーペ カブリオレ |
1985年 | W213(5代目) S213(5代目) C207(4代目) A207(4代目) | |
Gクラス | SUV | 1979年 | W463(2代目) | |
GLSクラス | 2006年(GLクラスとして) 2016年(GLSクラスとして) |
X166(GLクラスとして2代目、GLSクラスとして初代) | ||
GLEクラス | 1997年(Mクラスとして) 2015年(GLEクラスとして) |
W166(Mクラスとして3代目、GLEクラスとして初代) C292(初代) | ||
GLCクラス | クロスオーバーSUV | 2015年 | X253(初代) | |
GLAクラス | 2014年 | X156(初代) | ||
Rクラス | ミニバン | 2006年 | W251(初代) | |
Sクラス | セダン | 1972年 | W222(6代目) | |
Sクラスクーペ | クーペ | 2014年 | C217(初代) | |
Sクラスカブリオレ | オープンカー | 2016年 | A217(初代) | |
SLクラス | 1954年 | R231(6代目) | ||
SLCクラス | 1996年(SLKクラスとして) 2016年(SLCクラスとして) |
R172(SLKクラスとして3代目、SLCクラスとして初代) | ||
メルセデスAMG・GT | スポーツカー | 2015年 | C190(初代) | |
Vクラス | ミニバン | 1998年 | W447(3代目) | |
シタン | ライトバン | 2012年 | W415(初代) |
OM441LA
バンコク大量輸送公社(BMTA)
メルセデス・ベンツのチューニング部門であり、メルセデス・ベンツの上級高性能モデルやスポーティーなパーツに冠されるブランドでもある。工場はドイツのアファルターパッハ(Affalterbach )にある。元は独立したチューナーであるAMGだったが、1999年にダイムラー・クライスラー(当時)に吸収され、さらに2014年からは「メルセデスAMG」(Mercedes-AMG )としてメルセデス・ベンツのサブブランドとされている。「究極のハイパフォーマンスを追求するモデル」と位置付けられている[11]。
かつてドイツの高級車メーカーとして存在し、2002年から2012年にかけてメルセデス・ベンツ・ブランドから独立した最高級車として製造販売されていたマイバッハは、2015年に「メルセデス・マイバッハ」(Mercedes-Maybach )としてサブブランド化されている。こちらは上記メルセデスAMGとは対照的に「究極のエクスクルーシブ」と銘打たれている[12]。
1920年代以前
1930年代
1940年代
1950年代
1954年:W198
ガルウィングで知られるスポーツカー、300SL
1960年代
1970年代
1980年代
1986年:W124
ヒットしたW123の後継。画像はE500
1990年代
2000年代
2001年:W203
2代目Cクラス。楕円形のヘッドライトを持つ
2003年:W211
Eクラスのステーションワゴン。画像はE240
2006年 : W221
画像はS65 AMG
2007年:W204
3代目Cクラス。画像はC200
2008年 : X204
新設されたGLKクラス。後継車はGLC。画像はGLK320
2008年:C197
AMGにより開発されたスーパーカー、SLS AMG
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